明日から、また頑張ろう。
もう今年もあと4ヶ月半・・・。
そんな考えると早いものだ。

夏にこんなこと思ったことなかったのに。
ふと、8月15日という日が1年の真ん中のような気がして
指折り数えてしまったため、そう思ったのだ。
国語で習った時の使い方でいうと、
そう思われたのだ。
思われたに線がひかれるのだ。
この思われたは自発ですか、尊敬ですか、受身ですか、と。

こういうのは今となってはわからないやついるのかって感じだけど、やっぱり、本とか、新聞とか、読む上では、多少なりとも大事だよね。国語で習ってることって。

ここで主張するが、僕は、高校まで習ったことって、大人になっても、全然無駄なんかじゃない、むしろ自分の糧となってずっとついてくる宝物だって思ってるんです。
僕はほとんどの勉強が好きでした。みんなが数学のsin・cos・tanなんていつ使うんだとか言ってたけど、僕はそうは思わなかった。しっとくに越したことは無い。いつか必ず役に立つ、と思ってた。

社会では歴史や地理を学ぶことができる。法律も少し学ぶことができる。日本人して、日本のことを知るためには最も重要な科目だ。

数学では計算の仕方や論理的思考を身につけることができる。社会に出て最も使うであろう。少なくとも僕は今数学が好きだったことがプラスに働いている。

英語はパソコンのエラーメッセージを解読するのに役立つ。

理科は、今のところ役立っていない。というか著しく苦手だったので役立てることができていないのであろう。よく血液型の話でAOとOOがどうのこうのという話をする人がいるが、そういう話ができる人は天才だ、と一瞬思う。でもそんなに思ってない。

体育は、将来子どもと遊ぶ時役に立つだろう。体育が無ければ小学生の時から運動不足になってしまう。

音楽は、自分のテンションを上げる方法を教えてくれる。大人になって子どもの頃聴いた音楽を聴いて、しんみりすることができる。思い出と一緒についてくるのは、音楽。

図工は、自分の限界を知ることができる。サンダーベルトて。

家庭科は、裁縫をムリヤリでもすることによって、誰もが祭り縫いまでできるようになる。祭り縫いて。

そして大事なのが道徳。モラル。道徳の時間はやめて体育にしよう!とかいう先生、よくない。先生のスキル、問われる時間だと思う。

なぜこういう話になったか。
なぜこういう中途半端な構成にするか。

まぁ、↓の荒らしを更生させたかっただけだ。
荒らしているのも、更生させてるのも、俺かよ!

ゆっくりな説明口調のツッコミをしたところで、
24時を回った。
8月16日。
僕にとって新たな門出。
また、一からはじめるつもりで頑張っていこう。

んな感じ。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索